T氏の日記帳

日記帳がわり

久々に自分のブログを見返してみた話

みなさま、お久しぶり。

 

一時の気の迷いで数年前に始めたこのブログであったが、当然のごとく書くことが枯渇し放ったらかしになっていた。

 

そりゃそうである。

僕の人生は決してドラマチックでもなく、非日常的な出会いや経験もなくただ家と職場を往復する毎日なのだ。

 

そんなこんなで暇を持て余した僕は久々にブログでも更新してやろうと思い立ち、こうして文を書いている。

 

久しぶりにブログを書くにあたって、過去の記事を見返してみた

 

なんとも恥ずかしい。

 

こんな小っ恥ずかしい文章、というより最早怪文書の類をインターネットというオープンな場に臆せず公開していた度胸だけは認めてやりたい。そう思った。

 

なぜそう思うのか?みなさんは考えたことがあるだろうか。

 

今、この記事を読んでいる方でTwitterをやっている方がいるならば、数年前の自分のツイートを見てほしい。

 

多分今の僕と同じ気持ちになるだろう。

 

「うわ、過去の自分のこのノリキッツ…」というその気持ちである。

 

ここで僕はひとつの仮説を立てた。

 

「今の自分が過去の自分よりも成長している」と感じたいがために無意識の内に過去の自分に対する嫌悪感が出る

 

という説である。

(実際成長しているかどうかはともかく)欠片程度残った僕の向上心が引き起こしているのではないか?

 

それっぽいことを考えながら5分程度ウンウン唸りながら考えてみたが、納得のいく答えが出なかったので考えるのをやめた。

 

こうして人の脳は退化していくのだ。

 

 

 

 

 

 

どうせこの文章も数年後に見たら(キモっ…)って思うわけだし好きに書いたらいいのではないか?

そんな気持ちをそっと胸に秘めながら僕はゆっくりと紫煙をくゆらせる。

 

それではまた次回(更新日は未定)

僕と梅雨

梅雨は嫌いだ。

 

最近では特にそれが顕著だ。

 

なぜ梅雨が嫌いか?

それは当然雨とそれによる低気圧のせいである。

 

読者の皆様にも低気圧で体が不調という方もいることだろう。その気持ちは僕も痛いほどわかる。というか実際痛い。

 

腰が。

 

馬鹿言え!と思うかもしれない。

だが腰は「体の要」と表されるほど重要な部位なのだ。

 

その他にも雨による洗濯物の室内干し。

そして増える湿気。

うねる髪。

痛む腰。

襲い来る喘息の症状。

 

もはやゴミ。

日本の四季という文化は大変素晴らしいと思う。春には桜、夏には青葉、秋には紅葉、冬には白景色。地方によって見える景色の違いがあるの飽きさせない工夫があって大変素晴らしい。

 

だからこそ梅雨のゴミっぷりが際立つのだ

 

梅雨が好きなやつがいるだろうか?いや、いないだろう。(反語)

 

ただでさえコロナコロナで外に出られない時期が続いていたのに梅雨ともなればなおのこと外に出れない。

なのに仕事はありやがる。

 

こんな毎日雨じゃ休日に息抜きも出来やせん。

 

勤労によってすり減った精神を回復させる手段として数少ない休日の外出が存在するのに、これでは精神がすり減っていくばかりだ。

 

はやく梅雨よ明けてくれ。

暑がり的には真夏の暑さより梅雨のジメジメした暑さの方が辛いのだ。

 

そんなわけで今日もロキソニンをゴリゴリ飲み、(喘息の)ヤクを吸入する。

 

なんか久々に文字書いたら頭痛が加速したので今日はこの辺で。

次回更新日は未定です。

T氏のしりとり必勝法

しりとりをご存知だろうか?

 

ご存知でない人間はこの世にはいないだろうというくらい有名な遊びである。

 

しかし、しりとりをただのガキの遊びと侮るなかれ。

 

大人のしりとりは語彙力と閃きのぶつかり合い必至の激熱競技なのだ。

 

もはやeSportsと言っても過言ではない。

 

さて、今日は特別にしりとり必勝法を教えて差し上げよう。

今から教えることさえ守れば勝率9割は固い。

 

まず、しりとりで勝つためには1つの文字でひたすら攻め続けるというものである。

これはもはや基本中の基本なのであえて言う必要も無いかもしれない。

 

問題はどの五十音で攻め続けるかにつきる。

 

「ぬ」攻めや、「る」攻めなど様々な攻め手があるが、僕が最強と思うのは「り」攻めである。

 

なぜ、「り」が最強なのか?

 

まず、1つ目は「り」で終わる短い単語が多いということだ。

 

例として2文字の単語で考えてみよう。

蟻(あり)瓜(うり)襟(えり)檻(おり)

のように、1文字に「り」を付けるだけで成立する単語が非常に多い。

これはあくまでも2文字の場合である。

当然3文字、4文字…と文字数が増えれば使える単語も増えていく。

 

しかし2文字の単語が多いということはかなりのアドバンテージである。相手に考える時間を与えず、相手の番へ渡すことができるからだ。

 

さらには「り」で攻める利点としては防御も優秀なのだ。

しりとりにおいて、攻守が逆転する瞬間は「り」攻めの場合、「り」で始まり「り」で終わる単語を相手に言われた時である。

これはどの五十音で攻めていても変わることは無い。

 

だが、「り」に隙はない。

最初と最後が「り」で終わる単語は「料理」くらいしかないのだ。

もちろん「利回り」などの単語もあるが、一般的な単語としては料理が優秀だろう。

 

そして極めつけはその速攻性だ。

 

自身が先攻の場合、しりとりの「り」から初手で「料理」を言えば、相手のカウンターを防ぎつつ、そのまま攻めにも繋げられるのだ。

 

お分かりいただけただろうか?

以上のことから、しりとりは「り」で攻めれば大抵勝てるのだ。

 

この必勝法を読んだ方は僕と金輪際しりとりで勝負しないで欲しい。

 

では、良いしりとりライフを。

 

 

「り」って書きすぎて若干ゲシュタルト崩壊気味になった。

僕とスキー

皆さんは現代日本に「雪を見た事が無い」人間が存在すると思うだろうか?

 

その疑問には明確な答えがある。

 

そう、何を隠そう「現代日本で雪を見た事が無い人」が僕自身だからだ。

 

僕は静岡県某所で生まれ育った。

静岡県は中部山岳と呼ばれる屈強な山々に遮られているので、雪が降らない。

 

地方によっては降るところはあるが、僕の生まれ育った町は海沿いの寂れた港町だったので、雪を見る機会に恵まれなかった。

 

当然雪が降らないのだからウィンタースポーツも未経験である。

 

さて、そんな話を知人(プライバシーの関係上、彼のことはLさんと呼ぶことにする)にした所

 

「22歳にもなってスキーしたことないのwwwwwwwwwざっこwwwwwwwwwwww」(意訳)

 

と言われたのでスキー童貞を捨てるべく、彼と別の知人も誘いスキーに行くことになった。

 

それが去年の年末くらいの話であった。

 

3月にちょうど東京でイベントがあり、皆も参加するということで、ついでにスキーに行くことになった。

 

3月14日  朝6時20分

新宿駅

そこに僕はいた。

 

途中色々な予定変更があってごたついたが、無事にスキー童貞を捨てる時が来た。

 

なんだか初めていかがわしいお店に行った時のようなワクワク感で胸がいっぱいであった。

 

無事全員集まり、レンタカー屋へ行きいざ群馬の山奥へ出発した。

 

 

移動は特に面白みもなく他人の悪口ばっか言っていたので割愛。

 

雨か雪か怪しい天気ではあったが、スキー場に着いた。

各種用品をレンタルし、いざゲレンデへ。

 

 

 

絶望した。

 

 

 

スキー板をつけた状態ではまともに歩くことすら出来ない。

坂を登れない。かといって滑っても持ち前の体幹の悪さが働いて滑れない。

 

なんだこれ、クソつまらんやんけ!

やっぱ陽キャの考えることは分からんわ!

 

と思っていたが徐々にコツを掴むことが出来てきた。

中高6年間テニス部だった経験が活きたようだった。(2年間くらい幽霊部員だったが)

(嫌いなやつばっかだったけどやってたよかったなぁ)と思いつつ練習に励んだ。

 

そんな感じで2時間くらい滑っただろうか。

 

前言撤回

楽しい

 

そう、楽しいのだ。自分の思うように速度と方向を調整できるようになると爆発的な楽しさがある。

 

風と一体になるような疾走感。

飲み込まれそうなほど柔らかく白い雪の上を滑る非日常感。

 

肌に吹き当たる雪でさえも僕の熱の前ではみぞれも同然だった。

 

いままで経験したことないたくさんの事が一度に襲いかかり、アドレナリン爆発だった。

 

流石にまだジャンプなんてもんは出来なかったが、それでもスキー初心者にしては十分楽しめたと思う。

 

他にも色々書き足りないことばかりだが、長くなりすぎてもダレてしまうので、今日はここら辺で。

 

来年はスノボに挑戦してみたい。

 

では、ごきげんよう

 

僕と映画館

皆さんは映画館で映画を見るだろうか?

 

僕は今までの人生の中で片手で数えられるほどしか映画館へ映画を見に行ったことがない。

なにぶんお金がないしズボラな人間なので映画はTSUTAYAで借りてきて見るのだ。

 

しかしそのなかでも印象に残った映画は数ある。

 

何故か父親と姉と見に行った「のぼうの城

 

女の子と見に行ったものの、映画に夢中になりすぎて隣にいた女の子の存在を忘れた「君の名は」

 

これまた女の子と見に行ったが睡眠不足で開始30分もしないうちに大爆睡をかまし、目覚めたらエンドロールだった「ペッツ」

 

 

そんな僕も一人暮らしをして大人かつシティーボーイになったので、この前(と言っても夏の話だが)1人で映画館へ映画を見に行った。

 

なぜ見に行ったか、それは語るまでもないだろう。

 

単純に暇だったのだ。

 

そんな訳で電車に乗って街へ出ていざ映画館へ着き、何を見ようか迷っていた。

当然無計画な僕は事前に何を見るかなど決めているはずもない。

 

面白そうな映画が上映してない時のことは考えない主義なのだ。

 

ポケモン…という歳でもないし

天気の子…は女の子と見に行く時のために取っておきたいし(結局見に行くことは無かった)

と、思案しているとひとつのタイトルが目に入った。

 

それこそがワイルドスピードである。

 

ワイルドスピード、そう言えば何故か家に1作目が転がってて暇つぶしに見たことあるな。

 

と、思ったその時にはチケットを発券していた。

1作目を見たことがあると言ったが、逆を言えば1作目『しか』見ていないのである。

今から見ようとしているのが何作目かすらもわからない状況でよくも見ようと思ったものだ。

 

きっと夏の暑さで気が触れていたのだろう。

 

そんなわけでワイルドスピードの上映が始まった。

 

詳しい内容はあまり覚えていないが、ジェイソン・ステイサムドウェイン・ジョンソンがコンビを組みいがみ合いながらもなんやかんやで昔殺したはずの仇敵を倒す話だったような気がする。

 

この映画を見て思ったことが2つある。

 

まず、音が大爆音かつ大迫力だった。

これは映画館でしか味わえない感覚だろう。

特にこの映画は爆発音や戦闘音のシーンがかなり多い。車メインの映画だと思っていたが、いつの間にか路線変更していたらしい。

 

次に、意外にもストーリーがわかりやすかった。

シリーズ物は間を見ないだけで地獄のように相関図がゴチャゴチャになるものだと思っていたが、今作は意外とスッキリしていた。

 

主人公格2人、前作でどうやら死んだはずらしい仇敵、それとなんかよくわからんけどウイルスが欲しい妹

 

これさえわかっていればあとは雰囲気で乗り切れた。そもそもストーリーを読み解くものでは無いのかもしれない。

 

初見の割には意外と楽しめたなぁ。と思いつつ映画館の外に出てみると、耳がバグったように世界の音量が小さくなってしまっていた。

 

なるほど、あれだけ大爆音で流されてたらこうなるよなぁ。とおもいつつスタバでフラペチーノを買うとタイプのお姉さんがにこやかに笑いかけてくれた。

 

たまには映画館で映画を見るのは悪くないな

とおもいつつ帰路についたのであった。

 

(それから半年以上たった今でも映画館に映画を見に行くことはただの1度も無いが)

都会の話

僕は人口3万人にも満たない、小さな田舎町の出身だ。

 

そんな爺さん婆さんと出稼ぎの外人と精神異常者しかいないような町で20年過ごしてきた。

そんな僕も再就職を機に少し栄えた市へ引っ越してもう1年半経つ。

 

僕の下宿先はそれでもその市の中でも割と寂れた方だが、生まれ育った町よりかはマシである。

 

なにより年中スパイシーな香りを漂わせるブラジル人がいない。

 

それに伴い交通の便が良くなったことで、大きな街へ出ることも多くなった。

 

都会には様々な人間がいる。

 

駅前で弾き語りをする人、胡散臭いパンフレットを無理やりポケットの中にねじ込もうとする人、昼間っから酒を飲んで顔真っ赤にして奇声を発する人などなど。

 

こう見ると地元の方が幾分かマシに見えてくるのは気のせいであろうか?

 

しかしそんな街の喧騒も、クソ田舎の不気味とも言える静けさに比べたらむしろ心地よいのだ。

 

田舎に生まれ育ち、都会に多少なりとも憧れがあるせいだろうか。

 

都会はいつ行っても同じことがない。

駅の広告が変わっているだとか、いつも寒い歌詞の弾き語りがいる場所が盲導犬コーナーになっていたりだとか。

 

街中を夜にブラブラしていると風俗のキャッチや可愛いのかブスなのかよくわからない顔したフィリピン人に「オニサン、ドウ?」(何がとは言わない)に捕まってしまう。

 

そんなことを思いながら酒を飲んだ帰りにコンビニで買ったスイートポテトを秒で床に落とし萎える。

 

都会は日経平均株価のように常に変わり続けていると言うのに、僕という人間のマヌケさは22年経っても変わることはないのだ。

 

そうして自分に嫌気がさしつつ今日も夜は更けていく。

 

内容がないと思うだろうが、あくまでもこれは日記帳がわりだ。

こんなブログに内容を求めるのがそもそもの間違いである。

 

お酒を飲んで眠たくなってしまったので今日はこの辺で。

 

明日は休肝

僕と図書室

図書室は学生時代の僕にとって安息の地であった。

 

元来読書が好きな僕は小学生の頃から図書室に入り浸っていた。

低学年でかいけつゾロリを読み漁り、高学年になり、歴史に興味を持ってからは偉人の伝記や日本史関連の書籍を読み漁った。

 

親しい友達が居ないわけではなかったが、如何せん僕はスカした小学生だったので、大勢で行動することにバカバカしさすら感じていた。

 

今考えれば普通に痛い黒歴史である。

 

そんな生活をしていれば必然的に中学に上がっても図書室に入り浸る毎日になる。

姉や兄がいたので司書さんとはすぐに打ち解けることができたし、読みたい新刊をお願いすれば他の人より優先的に入れてもらえるほどだった。

 

中学生の頃は好きなゲーム(テイルズ)のラノベを読み漁っていた。僕の通っていた学校は意外にもゆるいのか、または卒業生の趣味か分からないがラノベが1つの本棚をみちみちに埋めていた。

 

ちょうどその頃僕は運命的な本との出会いをする。

 

それこそ森見登美彦 著の「美女と竹林」である。

 

元はと言えば兄が実家帰省の道すがら、暇だということで買った本だった。

その後兄が忘れていったのを暇だった僕が読んで、その独特な文体と雰囲気にハマってしまった。

僕のブログでの文体も多少なりとも影響を受けている。

 

ここで、僕の図書室使用歴史上最悪の事件を起こしてしまう。

 

ある日、僕は数年来の友人Aと図書室にいた。

することも無く暇だった僕とAは別の友人Bの図書カードを使って勝手に本を借りようという話になった。

そこで何を借りるか吟味したところうってつけの本が入口に鎮座していた。

 

その本はビッグバードビッグブックと言う。

 

その本は名前の通りクソでかいのだ。

 

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これを見ればいかに大きいか分かるだろうか?

その本は何故か貸し出し可能だったのでこれを借りて、こっそりBの教室のロッカーに入れておけば面白いと考えた僕達は早速借りることにした。

 

ここでひとつの問題が発生する

 

デカすぎて恥ずかしい。

図書室からBの教室まではかなり遠かった。

長い廊下を好奇の目に晒されながらせっせか運搬し、やっとの思いでBの教室へ着いた。

 

何人か教室にいたがそんなことはおかまいなしでBのロッカーへこの本をねじ込んだ。

当然斜めにしたが、奥行きが足りず本の半分くらいがロッカーからはみ出ている状態だった。

 

ひとしきりやる事をやって大爆笑した僕達は満足したので自分の教室へ戻りそのまま5、6時間目を受けた。

 

放課後のHRを受けているとBが教室に来た。

何やら僕がロッカーへねじ込んだ本が原因で学級会議になっていたらしいのだ。

 

何もそんなことで学級会議を開かずともいいだろ。と思ったが、よくよく考えてみればこれはなりすましである。

 

世が世ではなくとも普通に犯罪行為だ。

 

中学生だったので自分の担任とBの担任にしこたま怒られるだけですんだが、社会人になって同じような行為をしたら間違いなくお縄であろう。

 

世の中を知らなかった中3の頃の僕へ

 

このようなことを繰り返しながら人は成長していくのだ。

 

みなさんもなりすましにはご注意を

 

では、良き読書ライフを

 

余談だがその後ビッグバードビッグブックは貸出禁止になってしまった。借りたかった人たちには申し訳ないことをしたとおもっている。